危険察知能力について

最近の日本人は、(日本人に限らないかもしれません)危険察知能力が低下している方が多くなっているように感じております。

この、危険察知能力は、我々が生活する上で命に直結することも有り得る非常に大事な能力です。

今回は、危険察知能力について述べさせていただきます。

どーも。
はじめましての方、はじめまして。
OZ と申します。
以後お見知り置きの程よろしくお願いいたします。

危険察知能力について

危険察知能力についてですが、危機察知とも言いますね。

自分の身や周囲にある危険を察知する能力のことです。

この能力は、個人の知識・想像力・注意力・危険の認識度合い等により差が出ます。

どんなにお金を持っていても、この能力が欠如していたのでは、思いもよらぬ事態により、最悪の場合には命を失ってしまうことになるかもしれません。

ここでいう『思いもよらぬ事態』というのは、人によって違います。

危険が察知できないから『思いもよらぬ事態』なのです。

危険を察知(予測)出来る人であれば、想定の範囲内であり、回避出来ることもあります。

この能力が低いと、他人に害を及ぼすことにすらなりえます。

大事なのは、ちょっとした注意力を働かせることが出来るかどうかということなのです。

当たり前のことですね。

ですが、最近、その当たり前のことが出来ない方を其処彼処で見受けるのです。

私自身が、つい最近見かけた例をいくつか挙げてみます。

事例1)想像力・注意力・常識力が欠如している例

本道と枝道の見通しの悪いT字路において、自転車の前かご部のベビーチェアに子供を乗せた状態で、枝道から本道へ、ノールック、ノーブレーキで進入する母親。

車が来たらどうなるでしょう?

下手すれば、お子さんだけが亡くなって失意の底に沈むでしょう。

厳しいことを言わせていただくと、母親失格ですよ。

歩行者にぶつかる可能性もあります。

スマホを見ながら自転車に乗っていて、老人をはね死亡させた女子大生の話は記憶に新しいです。

自転車といえど、死亡事故をおこしたら交通刑務所に行くことになるでしょう。

事例2)常識力・認識力が欠如している例

矢印のない信号機の交差点において、直進してくる車があるにも関わらず、対向車線から当たり前のようにノーブレーキで右折してくる運転手。

直進車がブレーキ踏まないと、完全に正面衝突します。

自殺志願者なのでしょうか?

このような運転をする方は、最近本当によく見かけます。

そして、その多くは女性か老人です。

公道では、ゴーイングマイウェイは控えていただかないと周囲が迷惑します。

稀にバカ野郎の輩もいますが、見ればすぐわかります。

そのような輩は避けて通ればよいでしょう。

事例3)想像力・注意力が欠如している例

信号機の無い横断歩道において、スマホ操作しながらノールックで横断する歩行者。

確かに、横断歩道は歩行者が最優先です。

接触事故の場合には、車両運転者の過失となります。

ですが、誰が悪いとかではなく、自分の命は自分で守るという意識は持って欲しいものです。

誰もが、子供の頃には『道路を渡るときには左右を確認しなさい』と教えられているはずです。

もしも、命を失った場合、悪いのは跳ねた車両ですが、失った命は戻りません。

まさに、注意1秒、怪我一生です!

他にも挙げればキリがないのですが、とりあえず3例を紹介しました。

どうでしょう?

皆様の周りでも、似たような危ない状況を見かけることはないでしょうか。

年齢や経験によって、察知できる危険の範囲は変わってくるとは思います。

運転免許を持っているか否かによって、具体的にどういった行為が危険なのかということがわからない方もおられるかもしれません。

危険な地形(カルスト地形等)や地域特性によるものなどは、土地勘や知識がなければ避けられないこともあるでしょう。

とはいえ、そういった場所などでは注意喚起がなされているものです。

要は、そういった情報を漫然と受け取るのではなく、危険があるとの認識を持つかどうかということが肝要なのです。

交通ルールなどの、最低限のルールとされていることすら疎かにしていたのでは、社会生活は成り立ちません。

工事現場などの危険を伴う作業を行うようなところでは、『KY(危険予知)ミーティング』というものが行われます。

現場の危険がどこに潜んでいるのかを作業員に周知・認識させることにより、事故を防ごうというのが目的です。

では、KYミーティングを行ったからといって、事故が激減するのかというと、それはまた別で、要は作業員の認識次第であるということなのです。

漫然と聞き流している人には、危険として認識されることはありません。

そういった人からすると、ただの形式的なめんどくさいモノでしかないでしょう。

危険察知能力は、知能と比例するワケではありません。

この能力の高低は、育った環境と経験と想像力と記憶力と人間性に由来すると思っています。

危険な目に遭ったことや、実際に見たりしたものについては、危険であると認識するものです。

若い頃に無茶をする(出来る)のは、怖い・危険であるということを経験しておらず、危険であるという認識が無いからです。

ですので、車の保険などは、若い(経験が無い)ほど掛金が高く設定されています。

生命保険は逆に若い方が安いですけどね。

すいません、話が逸れました。

少し昔の話ですが、若者が悪ふざけで、砂浜で落とし穴を掘って友人を落とし、砂に埋もれて死亡したという事故がありました。

テレビなどで、芸人が出るような番組では、よくやっていますので、悪ノリで真似したのでしょう。

テレビの場合は、一応プロが安全を確認して行っているのです。

土砂が崩落しないように、土留めが施してあります。

素人が、人が落ち込むような深い穴、しかも砂浜のような軟弱な場所に掘った場合、土留めがなければ周囲が崩落する可能性が高いことは経験者ならば容易に想像できることです。

これは、無知が故に起きた悲しい事故ですが、知識なり経験なりがあれば防げた事故かもしれません。

これは、ちょっと極端な例ですが、危険察知能力が低いとこういった事態を招くこともあるということです。

そのような事態になるということを知っていようが(知っていれば殺人ですが)知るまいが、過失であれどうであれ、人の命を奪ったという事実に違いはありません。

冒頭でも申し上げましたが、危険察知能力が低下すると、命に関わる事態を招きます。

それは自分自身のみならず、他人をも巻き込む可能性があるということ。

ビジネスにおいても、リスクは極力避けることが重要であり、自分の資産を守るのは自分です。

ビジネスを何かに依存したとしても、それを決断したのは自分自身ですので、全ては自己責任です。

ネットビジネスで失敗したり、騙されたりという事態を避けるためには、本質を見抜く目が重要だということを常々申し上げさせていただいておりますが、

まず、第一に人間は生きていてこそです。

今回取り上げた、危険察知能力は自分の命に直結します。

災害時の避難の判断も、生死を分けるものです。

自分だけは大丈夫、という考えが最も危険であるという認識を持っているかどうかが大事なのです。

お金を持って死ぬことは出来ません。

自分の命を守るのは、自分自身です

雨に濡れたくなければ、傘をさすのと同じです。

いくらビジネスに長けていようと、不注意により怪我をしたり、命を失うようなことがあってはなりません。

ひとりひとりが、自分自身で危険を回避するという意識を持つようになり、悲しい事故が少しでも減少することを切に願います。

 

ではまた。

まもなく、東日本大震災が発生してから8年を迎えます。

被災者の方々に哀悼の意を捧げます。

 

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