只より高いモノはない!無料という名の毒。タダヨリタカイモノハナイ!

多種多様の無料を謳うオファーが生まれては消え、消えては生まれる現代
今回は「只より高いモノはない」について考えてみたいと思います。

どーも。
はじめましての方、はじめまして。
OZ と申します。
以後お見知り置きの程よろしくお願いいたします。

「只より高いモノはない」について

古くからある慣用句でその意味は

最初は無料や安価であっても後になって相応以上の対価を支払うようになるのが世の常であるという戒め

なぜこのような言葉が古くからあるのか?
それは只という魅惑的な言葉に乗せられた結果、思いがけない損失を被った多くの先人達がいたからということに他ならないからと考えます。
稀に只のことを「ロハ」と発する中高年がいますが最近の若者にはなかなか通じません。
ジェネレーションギャップという中高年の敵です。
個人的には古くからある地方独特の方言にしてもだんだんと使う人が少なくなっていくことに寂しさを感じております。
私はかなり昔のきつい方言を使いますので、周囲の若者からは「それどういう意味ですか?」と真顔で訊かれることもしばしば。
遠くない未来に連続ドラマの方言指導オファーがくる日まで現役の方言マスターとして日々精進するつもりです。ええはい。

話が逸れましたが、ロハは方言ではありません。
起源は諸説ありますが、大正から昭和初期にかけて流行った言葉遊びで、只という漢字を分解してロハとなったというのが正解ではないでしょうか。

さて、今回はロハや方言の話がしたかったワケではありません。
世の中には「只より高いモノはない」ということについて、ちょっとだけマジメに考えてみようというのが主旨でございます。

半世紀近く生きておりますと少なからず艱難辛苦を経験しております。
海千山千とまでは申しませんが、ある程度のことは経験則から直観的に赤信号が灯り、自制という名のブレーキが無意識下でかかるようになるものです。
この経験則による無意識下の心のブレーキが良いのか悪いのかについては賛否両論あろうかと思います。
良くいえば、君子危うきに近寄らず。
悪く言えば、リスクは避けられるが新たな道は開かれ難い。
といったところでしょうか。

例えば、人生経験の少ない子供が突然言い出すやりたいことや言い分というものは大人からすれば他愛もないことであり経験則によりほぼ結果が読めます。
しかし、頭ごなしにダメと言おうが諭すように説明しようが、やりたいという気持ちを持った子供というのは大人の言うことなど聞かないもの。
誰しも子供のころはそんなものです。
こんなとき周囲の大人に出来ることは、子供が最小限の失敗で済むよう陰から見守ってやることです。
失敗を経験していろいろなことを覚えていくのが子供から大人になる上での大切なプロセスだからです。
ただしコレはあくまでも子供の話で、社会的に責任が生じる大人の場合は話が違います。
独身者であれば多少の失敗であれば更なる人生の糧となるやもしれません。
しかし家庭を持っている場合には一歩踏み出すことにより生じる責任の度合いがまるで違うのです。
家庭を持つという話で思い出したことがあります。

「失敗は成功の元」という言葉がありますが、その昔ある先輩が仰っていた「性交は失敗の元」という言葉がいつまでも忘れられません。
もしこの言葉に共感される方がいらっしゃったとしたら、相応以上の対価を払うハメになった人生の無料オファーに後悔している方かもしれませんね。
今すぐ三行半を突きつける勇気がないのであれば、過去の情熱に勝てなかった文字通り己が蒔いた種として諦めましょう。
名誉のために申し添えさせていただきますが、我が家のことではございませんということでお願いいたします。
すいません、脱線してしまいました。

話を戻します。

世の中に無料・無償でなんの損失もなく受益できるなどということはほぼ有り得ないということ。
いくつか小さな事例を挙げてみます。

ちょっとしたモノを貰う代わりに生命保険外交員のアンケートに個人情報を書こうものなら翌日には多種多様な保険設計書を持参されたり、ダイレクトメールなどが届いたりと迷惑千万。その類のものには個人情報が記載されておりますので処分にも気を使わなければならなくなります。

忘年会や歓送迎会シーズンになると居酒屋などが幹事様一名無料等と謳って予約を促していますが、そもそも大人数の場合は大皿で料理を提供するような店が多く、一人分くらいどうとでも誤魔化せますし一人当たりの値段もそれを見込んだ設定となっており、お得感を演出しているだけで実際に得をしているのは店側です。

メールアドレスを登録するだけで初回サービス無料等を謳い、収集したメールアドレス情報を横流しして報酬を得るといったものなども星の数ほどあります。

どうでしょう?

日常的に普通にあることではないでしょうか?

人間も動物ですので、他者を退け勝ち残ろうというのが本能です。
腹を空かした子供が菓子や食べ物を独占したがるのと同じことです。

人間には共存慈愛の精神も確かにあります。
災害が起きた際、ボランティアの多くの方はなんの見返りも求めず参加されているのだと思います。
ただし、ボランティアに参加される多くの方は(被災当事者を除く)ほぼ例外なく自身の生活が担保されているからこそ参加できるのではないでしょうか。
とはいえ、ほとんどの方は純然たる善意によって参加されているのですが、中にはやはり売名目的や便乗した商いを目論んで参加する輩が存在することも悲しい事実です。
そういった輩は、心身憔悴状態の被災者に対して、政府の補助金がおりるかどうか確定していない段階から復旧工事などの営業を行い、補助金で軽くペイできるからと半ば強引に着手し着手金を要求するものまでいるのです。

被災地への多額の寄付にしても節税や売名の意図が内包されているものも少なからずあるということ。
寄付する側と受け取る側の双方ウインウインの関係が成り立つワケです。
とはいえ、理由はどうあれ復興支援の一助になっているということは称賛に値します。

?結 論?

接待などで『飲む、打つ、買う』の提供を受けた方ならよくわかるのではないかと思うのですが、本当に只より高いものはございません。
なにが申し上げたいのかといいますと、とどのつまり見ず知らずの人間が無償で益を提供しようとするときには、何がしかの思惑があると考えるべきであるということ。
これが「只より高いものはない」といった慣用句のルーツに通ずるのです。
無償で他人の利となることを提供しますと喧伝しているものには例外なく裏があります。

無料オファーはその最たるモノです。
それでも弱っている状態の場合は心が傾きそうになることも有り得ます。

そんなときに深呼吸して考えていただきたいのが

・なぜ無料・安価なのかの理由
・儲かるのならなぜ自分だけでやらないのか
・それにより提供者・運営者はなにを得るのか
・どんなロジックで儲かるのか
・リスクは本当にないのか

というコト。

そういった観点から内容を吟味した上でなお納得されたのであれば、勇気ある前進を選択するのもアリだと思います。
ただ、内容の吟味が出来るのかどうかが昨今の無料オファーでは難しい部分ですね。
有料であればメシの種を軽々しく表には出せないというのは納得できるのですが、無料で誰でもリスク無しと喧伝するのであれば内容もロジックもフル開示してくれても良さそうなものなのですがねえ。

最後に敢えて申し上げます。

只より高いモノはありません!

ではまた。

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